無宗教葬でも成仏はできる?

無宗教葬でも成仏はできる?

故人らしい自由なスタイルで行える無宗教葬なだけに、決定する前によく考える必要性があります。無宗教葬を希望していたもののよくよく考えたら通常の仏式に変更したというケースも少なくはないのです。やり直しがきかない最期の儀式ですから、後悔しないよう何度も考えることが大切ですね。

頭では自由な発想の無宗教葬を希望していたとしても、いざ読経も焼香もない自分の葬儀を想像できてくると、心のどこかに無宗教葬で本当に成仏できるのだろうかとひっかかる人もいます。仏教では、亡くなった人は仏さまになり、子孫に繰り返し供養されることで生前の悪い業も少しずつ許され、死のけがれが清められていき、やがては祖先の霊の集まる祖霊に加わることで子孫を見守ってくれる存在になると考えられています。

この“けがれ”というのは生命力の「気」が「枯れた状態」のことをいいます。けがれに触れたときは、酒や米などで生命力を補って、塩や水で身を清めます。通夜ぶるまいや精進落としをしたり、葬儀に参列した人が帰宅して自宅に入る際には塩をふりかけるという風習はすべてこの“けがれ”の考え方から生まれたとされているそうです。この考え方は民衆の生活から自然に生まれた自然信仰である神道から仏教が影響を受けた日本の考え方です。

酒や米で生命力を補うということは自然の摂理ですし、毒素の排除を促す塩を清めとしてふりかけるということも宗教的な考え方とは言い切りがたいものですよね。無宗教葬だからといってそういった生活や文化から自然に根付いた風習までも必ずしも排除しなければならないというわけではないので、このあたりもよく考えてみて検討する材料になるべきポイントかもしれませんね。

送り手がすべきことは、旅立ちのお手伝いをすることです。故人との別れを惜しむのも大切ですが、旅立とうとしている魂に後ろ髪を引かれる思いをさせてはいけないということです。残ったものたちで助け合い生きていくので安心してください、と手を離し、背中を押してあげることがどんな葬儀においても大切なことなのだと思います。

故人が、いつまでもこの現世に未練を残し心配な要素が残されていれば成仏などはありえないことですから、送り手が納得して、故人の人生の終焉を見届けることが一番の供養になるということを理解していれば、無宗教葬であっても後悔はしないのではないかという考え方もあるのではないでしょうか。

■ 神奈川の家族葬
       
       
       
       
       
       
       
       
       

 

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